フ ォ ー ユ ー

「日吉くん、好きだよ」

それはあまりにも唐突だったから、日吉は一瞬間の抜けたような顔になったが、次の瞬間には平静を装うように表情を戻した。
夕闇の迫る中吹いた風が、日吉の切り揃えられたくせのない明るい髪をさらさらと撫でる。そして、日吉と向き合い、至って真剣な眼差しを彼に向ける、夕日のようなオレンジ色の少し跳ねた千石の髪も。
千石の言葉は、友人や仲間に告げるには少し違う意味合いを持っている。それは日吉も痛いほど分かる。ただ、自身の気持ちも定まらないし、定まっていたところで、この場に見合う言葉を探り出せないことは分かりきっていた。
「…困らせちゃったみたいだね」
「え、あの…」
「大丈夫だよ、気にしないで」
日吉の無言をどう受け止めたのか分からないが、千石はにっこりと笑いながら日吉の肩を軽く叩き、どうしたら良いのか分からずに立ち尽くしていた日吉の緊張を解すように、努めて明るく声を出した。
「じゃあ、俺はこっちだから」
待ってください、という日吉の声に振り返り、ただまたねと手を振るだけの千石は、すっかり道の向こうに消えた。


「…な、んだったんだ…」


呆然と呟く日吉は、千石の姿が見えなくなっても、しばらくそこに立っていたが、再び吹いた風の冷たさに我に返って、家までのそう長くはない道を歩き始めた。千石に軽く叩かれたあたりだけが、まだ暖かいように感じられた。



















「日吉、最近気になることでもあるの?」
「…いや、別に」
昼休みに中庭で鳳と昼食をとっていた日吉は、鳳にいきなり振られた話しに、気になることなどあるわけがないとは、言い切れなかった。それもそのはずで、千石から告白めいた言葉を受け取ってから、もう何日か経過していたのだ。

それなのに、千石は一度も日吉に会いに来ない。

毎日ではないにせよ、マメに校門で待ち伏せされているのが、いつの間にか日吉にとって当たり前のようになっていたのだ。それが無くなったとなれば、千石と日吉の性格の違いを考えれば、日吉自身清々したと思ってもいいはずなのだが、どうしたって違和感が拭えない。
メールもパッタリと止んでいたから、千石も忙しいのだと思うようにしても、千石はそういう事を好かない気がする。まさかと思い、日吉も時折利用する小さなテニスコートへ行っても、元からそうそう会えるものではなかったからか、千石の姿を見つけられなかった。
ここまで会えないとなれば、やはりあれはただの戯れなのかと、日吉も諦めるつもりでいた。何を諦めるのかは日吉自身も良く分からなかったが。
「やっぱり気になる事があるんじゃないの?」
「…別に、ない」
「だって最近の日吉、そわそわしてるよ」
鳳の言葉に、日吉は溜め息をついた。内心で、鳳にこの未だ整理のつかない気持ちを気付かれるようではまだまだだと思いながら。鳳が知ったら気を悪くするだろうから、日吉は口には出さなかったけれど。
「俺に出来る事があるなら言ってね」
「お前じゃ不安だ」
「な、何それ…」
人が良いと通っていて、今は銀糸の髪を揺らして俯き、面白いくらい落胆した鳳の姿に少し笑みを浮かべた日吉は、それでもやはり相談をしようとは思えなかった。別に鳳が嫌いなわけではないが、誰かに相談などしたくなかったし、例えそう思った所で、話の内容からして気軽に話せるようなものではない。
男が、男に、告白されたなど。
「あ、気になる事があるなら、確かめてみたらいいんじゃないかな」
調べものなら放課後手伝うよ、と鳳に言われ、日吉は思わず鳳をまじまじと見つめてしまった。どうしたのかと問われ、ハッと我に返ると、日吉は感心したように口を開いた。
「たまには良いことを言うんだな」
「そ、そうかな?手伝う事はある?」
「いや、ない」
日吉が、照れたような鳳に容赦なく一言突きつけた所で予鈴が鳴り、落ち込む鳳を置いて日吉はさっさとその場を後にした。


幸い今日は部活が休みだ。
日吉は放課後に千石の通う山吹中へ向かうことを決めた。














「…ここか」
校門にもしっかりと山吹中の文字が書かれていて、日吉は無事にたどり着けたことに安心した。練習試合で来たときにはバスだったし、それ以外で来たことなどなかったのだ。
どうやら授業は終わったらしく、山吹中の生徒が校門から出てくる。制服のままだからか、どうしても注目を集めてしまうらしく、チラチラと寄せられる視線に、日吉は辟易していた。
千石も氷帝の校門で自身を待っている時には随分視線を集めただろうと思うと、千石は随分したたかだと日吉は感心するだけだ。
「あれ、氷帝学園の日吉か?」
「え、あの…」
不意に声をかけられ、日吉が慌てて振り返ると、山吹中の制服を来た、日吉にも見覚えがある気がする男が立っていた。確かテニス部にいた人だった気がするのだが、日吉には名前が出てこない。
「誰か待っているのか?」
「あ、はい、千石さんを…」
「千石ならもうすぐ来ると思うぞ」
「ありがとうございます」
それじゃあ、と帰っていく男の名前を、日吉は結局思い出せず、誰だったかと考えながら千石を待つはめになってしまった。彼が帰ったのを見る限り、どうやら今日は山吹中も部活がないらしい。
相変わらずチラチラと向けられる視線が気になるからか、日吉は千石が来るまでの時間がやけに長く感じられた。



「あれ、日吉くん!」
「…千石さん…」
驚いたような声が日吉の背後から聞こえて、振り返ると、千石が声そのままの驚いた顔をしていた。
「日吉くんから会いに来てくれるなんて、ラッキーだなあ」
「そうですか?」
にっこりと笑い、以前までと変わらない態度で接してくる千石に、日吉は安堵のため息をつく。それから、浴びせられている視線に気付いた二人は、何となく目を合わせて苦笑い。
「場所変えようか」
「…そうですね」



どちらともなしに歩き始め、山吹中から少しばかり離れた公園にやってきた。どこか寂れたように思うのは、子供さえいないからだろうか。ベンチの近くにある砂場には、忘れ去られたように特撮ヒーローの人形が半ばまで埋まっている。
二人はベンチに座るでもなく、向き合うでもなく、ただそわそわと視線をあちこちに向けて立つだけ。

「千石さん」

沈黙を破ったのは日吉だった。日吉の方へ体を向けた千石は、少しだけ嬉しそうに笑った。普段ならばいつも千石から話しかけていたのだが、日吉はどうしても聞きたくて仕方ない事があったのだ。
「…どうして、来なかったんですか」
「あぁ、ゴメンね、テストだったんだよ」
でも今日で終わりだと、千石は伸びをした。どうやら山勘と復習のような勉強をしていたらしいのだが、日吉には千石が真面目に机に向かう姿が想像できない。
テストだと言われた時に、日吉の頭には嫌われた訳ではなかったのだという安心感が溢れて、そしてこうして向き合って話をしている事が、嬉しいのだ。




「日吉くん、好きだよ」




あの日と同じように唐突に落とされた言葉に、日吉は目を見開いた。
目の前の千石も、あの日と同じ、真剣な眼差しを向けている。この間のようにはならないで欲しいと日吉は思いながら、それでもこの胸の内に見合う言葉が口から出てこない。
嫌なわけではない。嫌ならばあれから会わないまま平然と過ごしていられるはずだ。
それなのに、日吉は落ち着かないままだったし、今千石に好きだと言われた事が、一緒に変わらず会話出来たことよりも嬉しくて仕方ないのだ。
「嫌だった?」
「嫌じゃないです…」
「じゃあ普通?」
「いや、嬉しかったです…」
「つまり?」
食い下がる千石は、きっと確信犯だと日吉は思う。どうしても日吉の口から返事を貰いたいらしく、柔らかい笑みで日吉を見つめているのだ。




「俺も、千石さんが好きです」




口にすれば早いもので、日吉の心に燻っていた疑念さえもすっかり消えた。
そうだ、好きなのだ。とても。





「うん、今日はラッキー尽くしだなあ」
「え、あの、千石さん?」
笑いながら日吉の手を取った千石は、そのまま引き寄せるように、日吉を抱き締めてきた。いくらなんでも、ここは公園だからと言う気になった日吉だが、お互いあまり変わらない身長のせいで、顔を上げると千石の優しい笑顔が目の前にあって、気恥ずかしさからか文句を言う気が削がれてしまう。









「好きだよ」








千石の言葉のすぐ後に、日吉の唇に柔らかいものが触れた。








「…知ってます」








抱き締められたまま、日吉の呟いた言葉は、少し嬉しさを滲ませていた。









fin.


日吉(そういえば、山吹の校門で会ったのは誰だ?)
答:部長の南です。
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