カタストロフ別サイド

hand in hand

切り崩す隙なんて、最初からありはしなかったのを分かっていた。
それでも、もしかしたらどこかに隙があるかもしれないと、少しの期待を持っていたのかもしれない。

嗚呼、まだ未熟なのだ、どうしたって。

何故か忍足さんに対して怒りを露にしていた向日さんと入れ替わるように、俺はコートを後にした。その後のテニスコートの惨状なんか、見たくもない。









どれくらいこの校舎の壁を見つめていたのか分からない。テニスコートの方からは歓声が少しだけ聞こえるから、もしかしたら部長もやってきたのかもしれない。
今抱えている訳の分からない焦りも苛立ちも、まだ未熟である自分を認識しろと迫るようで、さらに苛立ちが増してしまう。そうだ、落ち着くためには頭を冷やせばいい。
そう考えて水道へ向かうために踵を返すと、ふわふわと揺れる金が視界を霞めて。
「ひよ見つけたー」
「…芥川さん、どうしたんですか」
笑うのはさっきの試合をベンチで見ていた芥川さんで、コートから出るときに横目で見たら寝ていた、ような気がする。そりゃあ、あの試合には、彼の目を醒ますような技の応酬などなかったのだから仕方がない、かもしれないが。
ベンチに入るならちゃんと見ていてくれ、とも思うのだ。結局芥川さんに甘いのは、テニス部レギュラー全員変わらないから、許されてしまうし、俺も何でか許してしまうのだけれど。
「ひよごめん、これ枕にしてたみたい」
ふと差し出されたのは、確かに自分があのベンチに置いていたスポーツタオルで、ベンチに見当たらないと思ったらこの人の頭の下にあったらしい。
「それ…せめて洗濯して返してくださいよ」
「え、あ、そっか、ごめんごめん」


どことなく、ぎこちない。


それもそのはずで、俺は彼と殆んど会話らしい会話をしたことがなかった。だから、実のところひよなどと呼ばれる筋合いもないのだが、今はそれを問いただすような場面ではないような気がしたのだ。
「…跡部がね、来たよ」
「そうですか」
「忍足も岳人も、なんかいなくなってた」
「どうせ跡部さんが邪魔だって追い出したんじゃないですか」
ぽつりぽつりと会話している芥川さんは、所謂起きている時のような底抜けな(俺はたまに煩いと思う)明るさではなかった。かといって別に眠いわけでもなさそうで、なんだ普通にこんな会話もできる人なのかと気付いた。
俺は随分知らない所だらけの彼を、少しだけ知ることができたのだ。
嗚呼、こういう会話をしていたら、あるいは、なんて馬鹿みたいだと思う。俺とあの人が互いに知り合った時には既に、遅かったのだ。
「ねえひよ、部活戻ろうよ」
「…アンタに言われると思いませんでした」
部活に出ても寝ている事が多いし、朝練すら出ないような人に。でも自分の私情で抜け出した俺、を追いかけてきた(と思う)彼の役目はきっとそれなんだろう。
「今度試合しようよ、ひよのあの構えカッコEから」
「理由がおかしいですけど、良いですよ」
ようやく、少しだけ馴染んだ。にっこりと笑った芥川さんは、当たり前のように俺の手を取ってくる。それを振り払ったって良かったのだけれど、なんとなく、そうなんとなくだ。振り払うわけでもなく手を繋いでテニスコートへと戻る道を歩いた。


「あ、やっぱり、ひよがジローって呼ぶまで戻らない」
いきなり足を止めた芥川さんは、繋いだ手を離して何かを期待するように笑う。この人は明るすぎるくらいの笑顔が似合う。
俺はこれ幸いとばかりに歩みを進めて、随分と盛り上がっているらしいテニスコートへ近づいていく。
「ひよ、呼んでくれないの?」
「……早く戻りますよ、ジローさん」
少しだけ寂しそうな彼の声に足を止めて口を開いた、次の瞬間。


足音とのしかかる体重。


「よし!ひよ、早く戻って試合しよう!」
「お、もいです、ジローさんっ」


ふと体が軽くなり、ぐいっと引っ張られる。
ジローさんが俺の手を掴んで走り出したのだ。
崩れそうな体勢を立て直して顔を上げると、ジローさんは満面の笑みを浮かべていた。



もう、ひよなどと呼ばれる事が些細な事になって、それ以外の事も、今は忘れてもいいと、思えた。














コートに戻った時には、何があったのかは知らないけれど意気消沈した準レギュラーがコート周りにいた。
そして丁度、なんだか不機嫌な跡部さんが樺地を従えて部室から出てきた所だった。
今コートでは、宍戸さんと鳳が準レギュラーとダブルスの試合をしている。審判席にいたのは滝さんだ。
「お前ら随分仲が良いじゃねえか」
跡部さんに言われて、ジローさんと手を繋いだままなのを思いだし、慌てて手を離そうとした。それでもジローさんはガッチリと俺の手を掴んでいる。
「なになに、跡部もひよと手繋ぎたいの?」
「俺と手を繋いでいたいのはジローさんくらいで…すよ…」
ジローさんのからかうような声に、拗ねたようなバツが悪そうな顔をした跡部さんがいきなり俺の空いてる手を強引に掴んできた。反論する俺の声は不自然に途切れる。
「ありがたく思えよ、日吉」
別にそんなこと望んではいなかったし、早いところこの手を離してしまいたかったのだけれど。
「じゃあ樺地は俺と手繋ごうよ!」
ジローさんの笑顔に毒気を抜かれてしまった。
「ったく、今日だけだぞ、樺地、繋いでやれ」
「ウス」
跡部さんも同じだったのか、心なしか楽しそうに樺地に指令を出す。ああ、なんだってこう、こんな下らない事さえも、仕方ないかと思えるのだろう。ジローさんに毒されたんだ、という事にしておくか。
「おい日吉、お前いつからジローのこと名前で呼んでんだ」
「今日、さっきからです」
ダブルスの試合を眺めながら、これは随分馬鹿みたいな状況だと思いながら、相変わらず手を繋いだまま跡部さんが声をかけてきた。
「お前には特別に…」
「ゲームセット!ウォンバイ宍戸・鳳ペア!」
「いや、何でもない…」
「そうですか」
跡部さんが何かを言いかけた所で、滝さんが試合終了の声をあげた。それに舌打ちをした跡部さんが濁すようにそれだけ言うと、俺の隣のジローさんが跡部間抜けーと言ってけらけら笑う。
「げ、お前ら何恥ずかしいことしてんだ」
「仲良くて良いじゃないですか」
コートから宍戸さんと鳳が出てきて、俺たちを見た反応にジローさんはますます楽しそうに笑う。後からやってきた滝さんに、モテモテだとからかわれて俺は慌てて二人から手を離そうとした。今度こそ、離すつもりで。
「日吉、俺様が手を繋いでやってるんだぜ?」
「そうそう!ひよ、照れないでよ!」
結局またガッチリと掴まれてしまう。



ああもう、この人たちはなんでこう。


「…っふ」


「あ!ひよが笑った!」



なんでこう、人を掻き乱すんだ。



結局跡部さんの休憩終わりの掛け声が響くまで、手を繋いだままだった。休憩の間、準レギュラーの視線が痛かったが、鳳が宍戸さんと手を繋ごうとして断られていた様を見られたので良しとしておく。
ちなみに滝さんは、樺地と手を繋いでいた。
手を離した後で、すっかり雰囲気のよくなった忍足さんと向日さんが戻ってきて、俺は少しだけ安心したのだ。からかわれなくて済んだ。


それでも、ジローさんと俺が試合をしている隣で、忍足さんだけが跡部さんの殺意すら感じるサーブを浴びていたので、少し同情した。


fin.


慈「跡部絶好調だねー」
日「…忍足さんが少し可哀想ですが…」
慈「良いんだよ、ほら続き!続き!」
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