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ヒルダは一人、今日見つけた山小屋で眠る一行をよそに、近くの湖畔へとそっとでかけた。
星も月も綺麗で、微かに虫の鳴く声が聞こえた。
ヒルダは、手頃な岩に腰を下ろし、じっと湖を見つめていた。
しばらく静寂が続くなかで、遠くからガサガサと何者かが近付いてくる音が聞こえた。

バイラスかも、いえ、もしかしたら王の盾か?

すっと懐にしまいこんでいたタロットに手を添えて、臨戦体制をとった。
音が段々と大きくなってくるにつれ、ヒルダの緊張も大きくなる。
「誰だ!」
ヒルダが放った声に、音はピタリと止まった。
「おいおい!ヒルダ!俺だよ、ティトレイだよ!」
聞こえてきたのは確かにティトレイの声で、ヒルダはゆっくりとタロットをしまった。
「やれやれ、おっかねーなー、もう。」
そう言いながら、ティトレイが茂みの中から近付いてきた。
「…何か私に用事?」
ティトレイだと確信したヒルダは、再び湖畔の岩に腰かけた。
「用事ってわけじゃないけどさ、ヒルダが小屋出てったから。」
ティトレイは、ヒルダの隣に移動していき、そこから空を見上げた。
夜は更けて、星は輝きを増し、湖にも光を注いだ。
「…起こしてしまったかしら?」
「いや、何か夢見が悪くてさ。」
「あなたでも、そんな事があるのね…。」
ヒルダの視線はずっと湖へと注いでいた。
ティトレイは、そんなヒルダをじっと見つめた。
「…なに?さっきから私の事見てるけど…」
そんな視線に気付いたヒルダは、怪訝そうな顔をした。
「あっ、いや、その…ほ、ほら!あんた綺麗だからさ」
「…そう。」
慌てたようなティトレイの反応に、少しの笑みを見せて、ヒルダはまた湖へ視線を向けた。

「ヒルダ、もしかして眠れないのか?」

さっきまでとは違い、真剣に聞いてくるティトレイ。
「えぇ…ちょっとね。」
「……あの、さ。」
「なに?気になるの?」
ヒルダは、じっと視線を湖に向けたまま。
うつむいたその表情を長い髪が隠していて、表情が分からない。
ティトレイは、そのままじっと前を見据えて、口を開いた。
「…いや……言い難いことなら、無理に聞かねえけどよ…。」
「……。」
「人に話したほうが楽になるときもあるだろ?」
ふとしゃがんで、小さな花のつぼみを軽くなでながら、真摯に彼の口から零れた言葉。
ヒルダには、なれないことだった。
ハーフとして、奇異の目、畏怖の目など、決して好意的とはいえない態度で接されていたから。
彼が自分の放ったタロットを受けたときから、彼は変わっているとさえ思えた。
「なあに?私が……ハーフだからって哀れんでるの?」
自分よりも下位の存在だからと、親切心を装って自分の優越感を満たそうとする輩など吐いて捨てるほどいた。
そういう人ほど、自分は貴方を理解しているといった空気を大袈裟なまでにまとっている。
「……そんなんじゃねえよ。」
「―――え?」
小さく、柔らかく零れた言葉を、ヒルダは思わず聞き返した。
「だから、ハーフがどうとか、そういうんじゃなくって!」
静かな森に、ティトレイの声が吸い込まれた。
あたりに響いたわけでもないのに、それがヒルダの心に深くしみこんだ。
「そういうんじゃなくって…なんか、困ったり悩んだりしてたら、少しでもさ、軽くしてやりたいんだ…。」
「……。」
「それで、相手が元気になってくれたら嬉しいしな。」
ティトレイは、柔らかく微笑んだ。
迷いの無い、その笑みがヒルダには眩しく見えた。
ずっと蔑まれて生きてきたヒルダには、それは縁の無かった笑み。
その笑みの裏で、どれだけの戦いがあったのだろう。
「……じゃあ、あんたの夢見が悪かったのはどうするの?」
「え?」
「自分が、困ったり悩んだりしたら、どうするのって聞いてるのよ。」
相手の負担を軽くしても、自分の負担が軽くなることは無い。
逆に、重くなってしまうのではないか。
ヒルダが質問を浴びせてみれば、ティトレイはヒルダの方を見て、数回のまばたきをした。
「…俺の場合は、こうしてさ、普通に喋ってれば、全部どっかに行っちまうよ。」
へへ、と笑ってみせたティトレイは、多分どこかで無理をしているとさえ思えた。
そうだ、確か彼は姉を王の盾に攫われたのだ。
ヒルダは、トーマから多少聞き、サニイタウンで本人たちから聞いた彼らの旅の理由をゆっくり反芻した。
彼は随分姉を好いていたようだから、並大抵の苦痛ではない、こうして笑ってる場合じゃないと思うのに。
だったら、まだヴェイグの方が分かりやすいんじゃないかとさえ思える。

「………あんまり背伸びするのも、良くないわよ。」

ヒルダは、軽く伸びをして、座っていた場所から立ち上がった。
真暗だった空が、だんだん東から白み始めていた。
薄っすらと明るい線が浮かび上がる。
「…背伸びじゃねえよ…。」
「そういうことにしといてあげるわ。」
小さく、意地を張ったような声でティトレイが返すと、ヒルダはクスと笑みを浮かべて、しゃがんでいたティトレイの頭を軽く叩いた。

 

もしかしたら、彼は泣いていたかもしれなかった。

 

それでもあえて言わなかったのは、彼に対する気遣いか。
それが、精一杯の、ヒルダなりの『少しでも軽くする』行動だったのかもしれない。

「じゃあ、私は先に小屋に戻っているわよ……。」

 

 

 

 

 

夜も完全に明けた頃には、既にティトレイは小屋に戻り、眠っていたようだ。
そして、昨日の夜の弱さなど全く感じさせずに振舞っていた。

その日の朝食は、昨夜ヒルダとティトレイが過ごした湖畔で取ることになった。
湖があるということで、マオは水に手を突っ込んで、冷たいといいながら楽しそうにしている。
ユージーンはそんなマオに落ちるなよ、と注意をしながら目を細めてそれを眺めている。
そしてそんなユージーンを嫌っているというアニーは、周辺の草で薬草になりそうなものでも探しているのか、草と図鑑を交互に眺めていた。
そして、そんな光景に我関せずといった風に、ヴェイグはじっと空の一点を見つめていた。
彼の足元には、ペットであるマフマフのザピィがちょこんと座っている。
そして、てきぱきと朝食を人数分用意していくティトレイ。
「ティトレイ。」
「ん?どうした、ヒルダ?」
「……昨日のことは……感謝してるわよ。」

器に朝食を人数分、しかも均等な量で分けていく彼の手際に関心しながら、ティトレイにだけ聞こえるようにつぶやいた。
「…お、おう。」
一瞬驚いたような表情を見せたティトレイだが、よかったな、と言いながら笑みを見せた。
昨日のような、無理をしているようなことは見受けられなかった。

「これはお礼よ。」

誰もこちらを見ていないことを確認して、ティトレイの頬を掠めるようにキスをした。
すると、どうやらこういうことには免疫がないらしく、耳まで真っ赤にして焦りだした。
「ひ、ヒルダっ!!な…何だよ…。」
「なんでもないわ。」
ティトレイの反応に笑みを浮かべながら、そ知らぬ顔で場所を移動する。
驚いたような彼の声に、その湖畔にいた全員がティトレイを見る。
「あー!ティトレイが顔真赤にしてる〜〜!!」
マオが先陣を切って冷やかしだす。
そうすると、マオをたしなめるユージーンと、ティトレイを擁護するアニー。
そして、少し騒がしくなったことに眉をしかめたヴェイグ。

 

そんなやりとりをどこか離れて見ることが、私の日常だった。
いつの間に、こうしてすぐ近くに近づくことができたのだろう。

 

あの夜、ティトレイの背中を見て感じた思い。

 

果たしてそれは、恋か

 

それは誰も知らない。

 

 

end.


after works
じれったい、とても。

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