ピ リ オ ド

「…ずるいですね」

それは、なりきれない断末魔のようだった。


あれからずっと、その一言がずぶずぶと深く突き刺さり、抜けなくなった。ワンシーンが、破片と言うよりは太い金属の棒のように。
それが痛みを伴ったのは最初だけで、最近はすっかり慣れていた。だが、抜けた訳ではないことも分かっている。それは変わらず己の中枢にあり、同化するでもない。
時折揺さぶられて、ちくりと刺すような痛みと共に、それは切なささえもたらした。



らしく、ない。



けれどそれは現に己の中枢に馴染み、構成に組み込まれようとしているのだ。
甘い淡い、ガムシロップを含ませたブラックコーヒーのような、記憶として。

相手に罪悪感という傷をつけ、一時だけでも痛みと共に思い出せと言いながら、己もまた、痛みと共に思い出さなければならないと、気付かなかったのか。



己が引き抜いたのは、諸刃の剣であった。



それでも構わなかったと言えるほど、悟っているわけではなく、お互い痛みを感じる度に想い合うなど、あまりにもロマンチックで、どうしようもなく苛々するのだ。悲恋を謳う歌劇よりも陳腐すぎる。
ああ、それでも今までの長くもない自分史を紐解けば、やはり彼ほど好いた人間など、いない。
ともかくその一連のシーンを迎えて、努力は時に天賦の才能さえも越えるものだと、改めて思い知らされたようだ。
だが、決して努力をしなかった訳ではない。ただ奴の努力が的を射て射ていて、己の努力は、全く別の的を射抜いていただけだ。気付いたのが、頭を整理しきるに至った時だと言うのが余りにも間抜けで、これではただの道化ではないかと落胆さえした。
だが一番腑に落ちない事は、断られたことでも泣かせたことでもなく、想いを告げた相手の思い人が、おおよそ彼にとって交遊関係にすら満たないようなイメージであり、未だに思い出したように自慢のようなメールを送りつけてくる事だ。
奴のイメージを己は細部まで知らないのだから、そこは良しとしても、自慢のようなメールだけは何万歩譲ろうと、良しとするなど出来そうもない。一日で宇宙の果てを見に行き、ここに戻るようなものだ。
果たして返すべきかと思案するだけ無駄だと悟ったのはつい最近で、それも奴はこちらが返さなくとも一方的に送り付けて来る事が分かったからだ。絵文字や顔文字が賑やかに飾るメールには、決まって写真が添付されていたが、最初から当て付けだと決めつけて、見ないまま放っておいてある。









「やあ久しぶりだね」
奴と再会したのは、何通目か分からないメールを例のごとく無視してから数日の事だった。折しもテニスの関東大会である。
お互い中学からテニス部に所属していたのだから、高校に進学しても、お互いテニスを続けていれば大会で再会するのも当たり前ではあるのだが、にっこりと人当たりの良い笑顔を浮かべながらも、敢えて人の少ない場所で話しかけてくる事が少しばかり憎たらしい。
「跡部くんは相変わらず部長なんだね」
「うるせえよ、今更何の用だ、千石」
「どうせメールも見てないんだろうから、教えにきたんだ」
「のろけなら他所でやってこい」
奴、千石は違うと口に笑みを浮かべた。ただ、目は少しも笑ってはいなかったが。次の試合まで時間はあるが、どうも休ませてはくれないらしい。
「日吉くんが、君を気にしているから」
「はっ、それで嫉妬でもしたのか?」
「三分の一はね」
勿体ぶっているのか、千石はなかなか本題を話そうとはしない。試合が行われているであろうコートから響く歓声だけが、やけに耳に残る。
「じゃあ残りはなんだ」
「思い当たらない?それで日吉くんに好きだなんて言ったのなら、君は随分浅はかだよ」
「お前は何が言いたいんだ、千石」

「じゃあ聞くけど、日吉くんがはっきりと返事をした?それから一度だって日吉くんに会った?」



ぐうの音も、出なかった。



確かに日吉は返事をしないまま立ち去ってしまったし、それから中等部を卒業する間の数日でさえ、個人的な理由で日吉に会おうと思えなかったし、日吉からも音沙汰が無かったのだ。

ずきずきとあの突き刺さった欠片が痛みだした気がする。

卒業式の後でさえ、日吉も己も、個人的にお互いを呼び出そうとはせず、ただあの一件が無かったかのように花束を渡されただけだ。その後日吉は、自身の卒業でもないのに号泣していた鳳を宥めにかかっていたし、自分は自分で、テニス部の三年レギュラー達で集合写真を撮ったり(余談だが、シャッターは樺地が押した)していたからなかなか二人きりで落ち着いて話ができる雰囲気では無かったのだ。
「日吉くんは随分気にしていたから、連絡でもしたらって言ったんだけどね」
「それで連絡してこないんだ、日吉が決めた事ならお前が出てくる意味はねえだろ」
「跡部くんを二度も傷付けたくないってさ」
優しすぎるよ、と笑う千石に対しては、不思議と怒りを感じず、余計な気を使う日吉に若干の苛立ちを覚えてしまった。
「日吉には、俺があれくらいで傷付くような人間に見えたのか」
「跡部くんが、日吉くんの連絡先を知っていながら返事を望まないのは、傷付いたからじゃないのかな?」
一々神経を逆撫でする物言いは、普段のおちゃらけたような千石とは似ても似つかない。鋭いのかもしれないが、やはりどうしたって不快なものは不快だ。
「それで、お前はなんでしゃしゃり出てきたんだよ」
「俺は別に跡部くんが嫌いじゃないし、日吉くんが大切だからかな?」
「俺はお前がどうしたいのか分からないけどな」
日吉に罪悪感をさらに負わせたいのか、それともこのままでいてほしいのか、千石の行動はさっぱり分からない。何処かのコートで試合が終わったのか、盛大な歓喜の声が響いてきたが、今はあまり上手く耳に届かなかった。
「何で、俺が跡部くんにメールしてると思う?」
「のろけだろ」
「違う…まあ、半分はそうだけどね」
「やっぱりのろけなんじゃねえか」
半分だけだよと、千石が笑った。
それはいつものふざけたような笑みではなく、心の底から楽しんでいる顔だ。やはりこいつはタチが悪いとため息をついたところで、人の声が近付いてきた。
「あら、誰か来たみたいだね」
話を中断することを匂わせて、千石は立ち去ろうとした。待て、と言う前にまたメールをするからと声だけが届く。


「ったく、何なんだあいつは」
何故だか酷く疲れたが、それだけ千石は一筋縄ではいかない相手なのだと改めて思い知らされた。テニスでもそれくらいの本気を常に出せば、楽に勝てそうだとも思うが、それでは楽しくはないのだろう。
「お、跡部こんな所にいたのかよ、次の試合もうすぐだぜ?」
「…あぁ、今行く」
声に続いて、宍戸の姿が見えて、軽く息をついて歩みを進めた。
次の対戦校について軽く話をしながら、この試合が終わったら日吉に連絡でもしようかと考えた。その前に千石の言葉を信じて、溜まりに溜まったメールを見るべきかとも思ったが、半分ものろけで出来たメールを見るのも不愉快だと考え直す。





そうして、もしかしたら千石はお互い気に病んで遠慮しているのを見越して、罪悪感どうこうより何より、前と変わらずに連絡をするきっかけを作るのが狙いだったのかと気付いた。





やはり奴は人間関係、特に色恋になると鋭すぎる。
ただ、日吉にも自分にも遠慮というよりは気にして欲しくないからか、遠回しすぎた感は否めなかったが。









結局、日吉も千石も、もしかしたら自分も、優しすぎたのかもしれない。


fin.


跡部(このメール、やっぱりただの嫌がらせにしか思えねえ…)
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