ア イ コ ン タ ク ト

「…あ」
「日吉、どうしたの?」
「…何でもない」
全く唐突な日吉の声にも、鳳はいちいち反応する。気が利くと言えばそれまでなのだが、日吉にとって今の声に反応される事は少しばかり煩わしくもあった。
何せ声の発端となったのは、昨日の昼休みにテニス部の跡部と樺地を除くレギュラー陣としていた雑談なのだから。ちなみに、ただでさえ忙しい跡部と、彼に付き従う樺地はその日は生徒会室にいたらしい。
今日は既に部活も終わり、半ば強引に鳳が一緒に帰ろうと言ってきたので、まだ僅かに明るい道を二人して歩いている所だ。昨日の昼休みからもう時間が経っていたし、他愛もない雑談の話しなど忘れていそうなものだったこともあり、日吉はあっさりと自己完結させた。それでも嫌な顔せずにいる鳳は、やはり優しいと日吉は思う。自分では到底出来そうもないしやろうとも思わないが。
しばらく他愛もない会話をしながら(とはいえ、殆んど鳳が話題をもちかけては日吉が一、二言相槌を打つ事を繰り返していただけだが)歩いて、それから曲がり角で別れた。一人になった日吉は、歩みを進めながら昨日の雑談とその答えを頭に並べていく。



雑談の発端は誰だったか。芥川さんは確かずっと寝ていたし、宍戸さんではないはずだ、話題からして。鳳もその手の話を好んで話題に出す性格ではない。忍足さんは、話題を振られてから何だか良く分からない恋愛小説のヒロインについて延々語っていたのだから、そうだ、向日さんだ。
確か跡部さんの下駄箱みたいに、ラブレターが詰め込まれて何通かが無惨にも床に落ちている状況がどうも気に入らないとか、さっき滝さんが女子にラブレターを渡されていたとか、そういう話の流れだったはず。




それから好きな人がいるかという話題になって、宍戸はそんな奴いるか!と顔を赤くしていたし、鳳も少し慌てていた。鳳など、女子にも優しいと評判なのだから、慣れていてもおかしくはないと日吉は思っていたのだが。
忍足は日吉が思い出した通り、あの子の健気さがええわと、最近お気に入りらしい恋愛小説のヒロインについて語り始めたのだ。結局寝ていた芥川が話題に混ざれるはずもなく、忍足の話を誰もが聞き流して、日吉に矛先が向かう事に。いませんと日吉が返せば、向日はらしいけど面白くないと、日吉に文句をつけ始めた。
「そら仕方ないやん、日吉は跡部に下剋上する事で頭いっぱいなんやから」
「そうだよなー、お前隙あらば跡部の方見てるし」
「……そうですか?」
どうやらヒロインのいる世界から戻って来ていたらしい忍足と、それには触れずに話を繋げる向日に、日吉はしばらく考え込んでからきょとんと返した。確かに、部活中はやけに跡部が視界に入ると思っていたが、日吉は跡部が目立つせいだと思って、自分で納得していたのだ。
「何だ若、自分で気付いてなかったのかよ」
「はあ、跡部さんが目立つからだと思ってました」
「確かに部長は目立つし、目につきやすいよね」
宍戸にも呆れられ、思ったままを口にしたら、何故か鳳にフォローされ、日吉は内心で、お前も宍戸さんばかり見てるくせにと毒づいた。口にしないだけマシだろうという、日吉の良く分からない気遣いである。
「気付かないうちに目で追うてるて、ええシチュエーションやなあ」
最近見た映画にもあったんやけどなと忍足が熱弁を振るい始めるのを、寝ていた芥川を除く全員が冷ややかな目で見ていた。




それから今に至るまで延々と、果たして自分がそんなに跡部の事を目で追う理由は目立つ以外に何かあるのかという事を考えていた日吉は、ふと思い出したのだ。
いつのまにか当たり前だと思っていたが、跡部と目が合う事がたびたびある。
視線を感じて見やれば跡部がいたし、派手な振る舞いをする跡部を多数の生徒に紛れて眺めていたら、跡部がこちらに視線を向けてきたりもする。
その跡部と目が合う一瞬が、日吉にとっては面白い瞬間だとは思っていた。前者の場合は跡部が僅かに目を見開くし、後者に至っては満足そうに笑う。
跡部のそんな表情に気付いたのはつい最近で、時々跡部の視線に気付かないふりをしてみたりして、日吉なりに跡部を密やかに好きに出来る瞬間となっていた。気付かない振りをすると、跡部は大抵機嫌が悪くなるらしい。不機嫌になりそうな頃だと感じた日吉が視線を向けると、意外にもバツが悪そうな顔をするのは、日吉にとってとても愉快なものだった。
それさえ全て偶然だとか跡部が目立つからだと思っていたのだが。




「もしかして好きなのか」




気付いたのは自分の気持ちで、跡部がどう思っているのかは知らない。
かといって、日吉はこの気持ちを明らかにするつもりはなかった。あの人が翻弄されるなど、あの一瞬だけで十分なのだ。
悲しいかな日吉には跡部に勝る部分が今のところ無いと言っても過言ではない。少なくとも、日吉が勝るのは一般的な常識くらいかもしれなかった。



今はまだだ。



もう少しでも、跡部に勝る部分を密やかに身に付けてから手にする方が面白いに決まっている。それまではあの一瞬を楽しんでおこうと日吉は心に決めて、クスリと小さな笑みを浮かべた。














日吉の考えに反して、意外にも転機はあっさりとやってきた。




日吉が跡部への想いを自覚してからしばらく経つ頃、相変わらずお互いに何も口にしないまま、視線だけの遊びは続いていた。最近日吉は、目が合ってから跡部にニヤリと口元だけで笑ってみるようになった。その度に跡部が僅かに眉をひそめてから小さく笑うのが、日吉にしてみれば面白くて仕方ないからだ。






この無言のやり取りの均衡を破ったのは跡部だった。






「部室で待ってろ」


視線がかち合った瞬間、跡部が声に出さずに日吉に伝えた。日吉には読唇術などという特技はなかったが、それでもはっきりと読み取れたそれに、僅かに笑って返した。日吉にしてみたらただの肯定の意味だったのだが、跡部には見慣れない笑顔だったようで、少しだけ間の抜けた顔になる。
「わかりました」
通じなかったと思った日吉は、同じように声に出さずに改めて伝えた。跡部はそれに満足そうな笑みを浮かべて視線を反らし、どこかへ行ってしまった。




「…あれ、どうにかなんねーのかな」
「せやねえ、本人達は周りにバレてへんと思っとるみたいやけど」
向日と忍足は、ダブルスの作戦会議と称した休憩のために部室へ向かう道すがらに、跡部と日吉の無言のやり取りを目撃したのだ。とはいえ、丁度日吉の背後の茂みに身を隠したため、跡部の表情しか見えなかったけれど。
「恋は盲目ってやつか」
「…いや、多分使い方違うんやないかな、それ」
「ま、何でもいいから、部室行こうぜ」
「跡部もどっか行ったみたいやしね」
「俺様がどうしたって?」


ピタリと動きを止めた向日と忍足に、跡部の怒号が響いた。









その後部活も終わり、日吉は相変わらず自主練習に励んでいた。それでも均衡を破るような跡部の行動を思いだし、早めに切り上げて部室に戻ることに。
他のレギュラー陣は全員帰ったはずだ。みんな日吉にいちいち声をかけてきたから間違いない。




「おせえよ」
「むしろ早い方ですけど」
「お前にとってだろ」
確かにそうだと思い直した日吉は、しかし特に悪いと思っていなかった。
「跡部さんこそ、それ終わらせたらどうですか」
跡部の居る机の上には、部活か生徒会のものらしい書類が積まれていた。まだ少し残っている書類を目でさした日吉は、それからさっさとシャワールームへ入ってしまう。
跡部が呼び止めるよりも早く、シャワールームの扉が閉まる音が部室に響く。
「雰囲気くらい読めねえのか、あいつは」
跡部は小さく舌打ちをしてから、渋々書類に手をつけた。正直、締め切りまでは余裕があるものだったのだが、結局日吉を待つ間の時間潰しに適したものがこれくらいしかないのも事実だった。持ち歩いて空き時間に読んでいた本も、今日の昼休みで読み終えてしまったからだ。



書類に目を通しては処理をしていきながら、跡部はどうしたものかと思案していた。それは書類の中身についてではなく、日吉の事だ。

日吉との視線のやり取りはふとしたきっかけで始まった。

日吉は性格や愛想のなさから周りに敵を作りやすかったし、一部のレギュラーも少しばかりピリピリしていたのだ。果たしてどうすべきかと考えていた跡部は、休憩中に鳳と談笑している日吉へ目を向けた。とはいえ、笑っているのは鳳だけなのだが。
日吉の性格にも負けずに話をする鳳は、ある意味で強いのかもしれない。ノーコンだけは、部長としてどうしても直して欲しいものだったけれど。
そんな鳳と日吉のやりとりを、声までは聞こえないながらしばらく見ていると、日吉が少しだけ笑ったのだ。それも、嫌味なものではなく、楽しそうな類いの。
それから顔を上げた日吉と視線がかち合い、次の瞬間に跡部は驚いた。



日吉が、ますます楽しそうな笑みを浮かべてこちらを見たのだ。



「…笑えるんじゃねえか」
呟いた次の瞬間には、日吉はいつもと変わらぬ無愛想さで、再び鳳と談笑していた。
日吉の笑顔らしい笑顔を見たのは後にも先にもそれきりで、しかも一瞬だったから見間違いかと疑いたくなった跡部は、それ以来よく日吉を目で追うようになったのだ。最初はただ射るような目を向けてきただけの日吉が、いつからか少しだけ楽しそうな表情を見せるようになった事は、跡部にとって意外ではあったけれど、それと同時に面白くもあった。
ここ最近、何かを企むような口元だけを歪めた笑みを見せてきていた日吉は、果たして跡部との戯れをどう思っているのだろう。跡部は日吉についてテニスくらいしか知らなかったし、彼と話す事と言えば部活での簡単なやりとりくらいだ。日吉は雑談の輪にいても積極的に話題に加わる方ではなかったし、跡部自身も興味がなければ加わらないと決めていた。
だから、テニス部での日吉しか知らないし、それ以外の日吉の趣味嗜好は良く分からない。




それでも、跡部は日吉を好きだと思う。




日吉のように、己に射るような目を向けてきた者は少なからずいた。だが大抵は打ち負かせば渋々だが付き従うような、強者に屈服するような者ばかりだ。
では日吉はと言えば、打ち負かしてみても、変わらずに射るような目で己を見据えてきた。それは友情さえも度外視したもののようで。
その態度は気に入った。屈服するよりも巻き返し手に入れようとする強い意思。そこに少なからず羨望もあったように跡部は思っていたのだが、最近はもっと別の何かに成り変わってきたようで、そんな日吉の目に堪らなく惹かれている。
「俺は馬鹿か」
最後の書類を片付けると、跡部は小さく呟いた。
今までは、何もしなくとも相手が言い寄ってきたが、それは当然と言うべきか全て女性だった。しかもそれは跡部にとってはただの暇潰しに似たもので。だから今自分が抱く気持ちは初めてであった。




「お待たせしました」
シャワールームから出てきた日吉は、まだ少し濡れた髪をタオルで拭いていて、跡部はふと意識を戻す。
「…お前、俺様がわざわざ呼び立てたのにそれで話を聞くつもりかよ」
「それもそうですね」
いくら男同士で、呼び立てた理由すら明かしていないとはいえ、部長の跡部が呼び立てたのだから、さすがにタオルで髪を拭きながら話を聞く体勢を取られるのはおかしいはずなのだ。
どうやら納得したらしい日吉は、がしがしとタオルで髪を拭き終えた所で、ようやく跡部と向き合った。
「何ですか」
改めて真っ直ぐ見据える目に、跡部は自然に目を逸らしていた。今までだって何度も視線を交わしていたはずなのだが、改まると跡部にしてみたら気まずくて仕方がなかった。日吉があまりにも自然に、まるで部活に関する話しでも聞くような態度で居ることも原因の一つだが。

「お前は、俺様が好きなんだろ」

少しばかりの沈黙の後で落とした跡部の言葉は、あまりにも普段と変わらない態度で、日吉は思わず目を見開いた。それから日吉はふ、と笑ったものだから、跡部は眉を潜めて小さく舌打ちをした。それは二人しかいない部室にやけに響く。
「何笑ってやがる」
「まさか、跡部さんから、言うと、思わなかっ、たんです」
肩を震わせて笑う日吉を見るのは初めてだった跡部だが、それに対する驚きよりも、ある意味では一世一代の告白でもあった言葉を笑われた憤りが跡部の中で勝った。日吉は雰囲気を読めないのだと岳人が文句を垂れる気持ちを、跡部はようやく理解できたような気分で、ただ日吉を見るしかできない。
「跡部さんの事だから、俺が言うまで何もしないと思ってましたよ」
ひとしきり笑い終えたらしい日吉は、ふうと息をついてから口を開いた。口元がどこか楽しそうなままなのを、跡部はこの際置いておくことにした。
「でも、意外です」
「あーん?」
「跡部さんは、もっと対等でいられる人を好みそうなイメージだと思っていたんです」
なのに、学年どころかテニスでも勝てていない俺にそう言うなんて。日吉はそこまでは口にしなかったが、跡部は日吉の言わんとしている事を悟ったらしい。
「…お前が、笑ったのが悪い」
「あぁ、跡部さんも単純ですね」
「何だと?」
「あれ、罰ゲームですよ」
にやりと口元を歪めて笑う日吉に、跡部は言葉を失った。
「あの日、跡部さん遅れて来たでしょう」
その時に王様ゲームに混ぜられて、最後の最後に忍足が王様になり、日吉の引き当てた番号の人が部長に笑うと命令されていたのだと日吉が説明している間、跡部は片眉をぴくりと吊り上げていた。
そんな跡部を見て、日吉は楽しそうに笑みを浮かべながら跡部の眉間に触れた。
「嘘ですよ、俺は嫌いな人間に笑えるほど器用じゃないですから」
「お、まえ…!」
からかわれたと気付いた跡部は本格的に怒り出しそうで、日吉にはそれが酷く滑稽で仕方なかった。自分の言葉や態度で、跡部を面白いほどに翻弄している。
普段あれほど派手で自信に満ち溢れ、むしろ周りを翻弄している跡部をだ。
「跡部さんて、意外と単純ですね」
「てめえ、いい加減にしろよ」
跡部の眉間を軽く押してから、日吉はふと表情を消した。
「あ」
「何だよ」
「俺も跡部さんが好きですよ」
思い出してとってつけたような日吉の告白に、跡部はぽかんと間の抜けた顔になる。本当にこいつにはムードも何もないと思いながら、跡部はしばらく日吉の顔をぼんやりと眺めるしかできず。
跡部が日吉を好きだと言うことはちゃんと伝わっていたとか、日吉も跡部が好きだという事実が知れて良かったとか、そんな事を跡部が考えたのは、ガタンとロッカーの扉が開く音に我に返った時だ。
それから改めて日吉へ視線を向ければ、日吉は帰り支度を始めていた。
「何してんだ?」
「そろそろ帰ろうかと」
「お前は、本当にデリカシーがねえな」
「一緒に帰るんでしょう?」
さも当たり前のように言われた跡部は、少し憮然とした表情になり、しかしすぐに机の上の書類を鞄に仕舞うべく手をかける。日吉はすっかり準備を終えていて、それでも急かすでもなく跡部の様子を眺めていた。


二人が部室を出る頃には、外はすっかり暗くなっていて、もう校内には他に誰もいないようだ。
少し歩いた所で、日吉が跡部の方を向いて口を開く。
「手、繋ぎますか」
「いちいち聞くのかよ」
「校門までデートです」
「ばーか、言ってろ」
跡部さんは車でしょう、と日吉は呟いてから、跡部の手を取った。
「今日はお前も車だ」
「強引ですね」
「家に泊まるって連絡しろよ」
「…あぁ、そういう事ですか」
日吉はくすりと笑って、跡部もつられて笑みを溢した。


fin.


日吉「結構意外ですね、跡部さんが」
跡部「お前それ以上言うなよ」
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